2才児3才児の子供がおじいちゃんとバイバイができない・・・どうしたらいいの?

ojiichan

質問

2歳6ヶ月の長女です。おじいちゃんが大好きで体中にまとわりついて、おじいちゃんの家に遊びに行った時も、こちらの家に遊びに来てくれたときも、ひと時もはなれずに遊びます。だからお別れするときは大泣きです。

きちんとバイバイをさせた方がいいのか、黙って消えてもらったほうがいいのか、バイバイの方法がわかりません。「無理をきいてもらって遊ぶ」ことも多いので、このままではわがままになってしまうのではないかと、それも心配です。

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回答

――目次――

1、2才・3才ってどんな時期?
2、おじいちゃんに遊んでもらった後の「バイバイできない」の考察
①嘘や誤魔化しを使わない。「そろそろ帰るよ」と予告をする。
②玄関で大泣き、おじいちゃんにしがみついて離れない時は「携帯利用」

③それでも「馬鹿!」「死んじゃえ!」「帰らない!」と罵詈雑言が出たときの応酬
④「バイバイ」を拒む、もう少し深い悲しみの中にあるものは「不安」
3、おじいちゃんが「無理もきいて」遊んでくれるから、わがままになりそうで、という心配

1、2才・3才ってどんな時期?

愛情深く見守ってくださる方がいらしてよかったですね。今の時代は祖父母も若い方々が多いので、孫と遊ぶことも叶わずに仕事の現役で、まだまだ社会の中で活躍されている方も多いです。

また、年金などの問題で遊んでいるどころではない祖父母もいらっしゃいますし、老後は私の第二の青春だから孫はよほどのことが無い限り見ないわよ、と断言される方もいらっしゃいます。

その点、ご相談者さんの場合は遊んでいただけるのは貴重でありがたい気がしますね。優しいおじいちゃんからいただける情感豊かな育ちは、大きな宝物になると思いますよ。

さて、御相談の内容は「遊んでもらった後の、バイバイのさせ方がうまくいかない」と「おじいちゃん子でわがままが心配」の2つですね。
ではまず初めの悩みである、きちんとバイバイできないということから。

そもそも2才児、3才児とはどのようなものでしょうか。おさらいをしてみますね。2才児とは、周りとの関係がほんの少し見えてきたのかなぁ、という時期で言葉をたくさん覚えるようになってきて、大人の言葉や所作を真似たがる時期です。

また自分の意志をある程度の言葉で伝えられるようになっています。でも、だからと言っていろいろなことが解っているのかというとそうでもなく、感情のコントロールがまだまだ出来ない時期です。

赤ちゃんと幼児の途中で基本的な発達の中にあります。個性豊かに育って行くのはそのあとのことになりますね。2歳児は例えば3個はたくさんということは解りますが、それ以上の“たくさん”は解りません。短いと長いの区別はつくようです。それと同じ様に今日と明日の区別はつくようですが、明日と“また今度”の加減はわからないようです。

お口が達者な子は単語を連ねて時には「てにおは」を入れながら、三語文で「ジュース ノンダ オイシカッタ」「クツ ハイテ コウエン」などが言えるようになります。

大人の言うことは解り始めますが、ちゃんとわかっているのではありませんし、自分の言葉で自分の思いを伝えることは十分に出来ないので、もどかしいので、そのことが感情の起伏の激しさで現れます。

「イヤ」という言葉を連発したりしますが、最後には何がイヤだったのかも解らなくなり、ただひたすら泣き続けるという落ちになります。

訊きわけが良い部分とまったくきかないという状態がおこります。

これが3歳児となると本当に幼児期の入り口になってきますので、いろいろと理解、理屈で解るようになります。対比の言葉がわかるようになり、早い、遅い、寒い、暑い、強い、弱い、行く、待つど使い分けられますし、簡単なゲームなどルールを覚えてやれるようになります。

想像力もしっかりしてきて明日の想像、未完成の絵の完成図(トマトの半分を見てトマトと言える)や、細かな絵の部分がわかるようになります。言葉の発達も短い時間の出来事を時系列で話せるようになります。

しつけが適切に行われていれば、待っていてねや我慢をすることが出来るようになります。感情が豊かになりますので、弟や妹への嫉妬や、怖いと教えられたものを怖がることや、マイナスになる駆け引きをされたときに、攻撃性が芽生えたりもします。

と、まあ、ざっといっても2歳と3歳では随分と違ってきますね。ご質問者さんの2才6ヶ月の時期は、乳児期の終わりと幼児期の始まりの間を行ったりきたりしながら、しつけも組み立てていかなければならない、そんな時期と言えそうです。

2、おじいちゃんに遊んでもらった後の「バイバイできない」の考察

2才6ヶ月児は何事に対しても、脅しや嘘やごまかしでは終わらない、終わってはいけない時期を通過中であることがお解りいただけたと思います。毎回違うやりかたでごまかすと、一貫性がなくなり、子どもの頭の中が混乱します。

嘘をつけば子どもは大人の言動にそのうち不信感を抱きます。

脅しや嘘やごまかしは、再度の嘘やごまかしが必要となる場合があって、2歳6ヶ月児で無くとも、もっと小さくても本当のことを説明して(理解しょうがしまいが)、淡々と説明をして、つまり説明することをしつけの一端として通すことが必要となってきます。

小さくても一人の人間として対峙して行くことはとても大切なことです。

①嘘や誤魔化しを使わない。「そろそろ帰るよ」と予告をする。

嘘やごまかしは気をそらされても解らない乳児期なら使えますが、やはり2歳を過ぎてくるとそれはしてはいけないことになります。 「もうそろそろ帰るよ」「時計の針が下の6まで降りてきたらおじいちゃんとバイバイだよ」。

これらの言葉掛けの中には“約束を守る”という意味も含まれます。時計の針が6までになったら「おもちゃを片付けて」と促し針が6をさしたら、全員で協力をしてアタフタとお帰りの態勢を整えましょう。

そのときに、約束を守らなければもうおじいちゃんの家に連れてこないよ!という脅しを言いがちですが、それは禁句です。「アイスを買ってあげるから」という交換条件も禁止です。そして「泣かないでサヨナラしようね」も禁句です。

別れは悲しいので泣いてもいいのです。泣いてしまったら抱きしめましょう。そして「別れるのは悲しいよね、でもまた会えるよ。10個寝たら、また逢いに来ようね。待てるね。えらいね」

プラスの言葉・愛の言葉・励ましの言葉などを組み合わせて「待つこと」「泣いてもいいこと」「えらいこと」など、自尊心と自信を持たせながらバイバイをしてみましょう。

②玄関で大泣き、おじいちゃんにしがみついて離れない時は「携帯利用」

玄関で暴れたり、おじいちゃんにしがみついて離れないような時は、過去にそうしたことでもう一度遊ぶことができたという経験がある場合におきます。子どもは自分の欲望には貪欲ですし、習慣の中で自分の心地よかったことは良く覚えているものです。

また、帰る態勢に入っているのに祖父母が愛情に負けて、もう少し遊んでやるかと遊びの側に引き戻してしまった過去などがあった、とも考えられますね。

祖父母は無償の愛でもありますが、時に無責任な愛につながりかねないので、両親がけじめとしているルールにそえるような孫の可愛がり方であったら理想です。帰る態勢に入ったらサッサと離れることも大事です。

さて、洋服にしがみつかれて大泣きされて、引き離せない状況になったらどうしましょうか……今の時代は携帯電話に録画が付いていますので、
おじいちゃんの映像を撮らせてもらって、童謡などを歌っていただくという手がありますね。

「今日は楽しかったね、おじいちゃんが新しい歌を吹き込んでおいたから、車の中で(電車の中で)見てね。楽しみだねぇ♪。バイバイしたら見てね。楽しみ楽しみ♪どんな歌かなぁ?どんな歌だと思う?」

すかさずママとパパが2才6ヶ月児の知っている歌などを歌ってみるのも、おじいちゃんの洋服を掴んでいる手の力が少し弱まることと、
思います。

間をおかずに、しがみついている子どもの意識を歌の世界に移していく、そんなことが出来たらいいと思います。子どもの気持ちを整理しながら、一つ先のことに誘導するという育児の技ですね。

ひどく泣いていてもおじいちゃんのお洋服から手が少しでも離れた瞬間に抱き取り、泣いたままでもいいので帰ります。おじいちゃんと別れて悲しいね、ママも悲しいよ。でもまた会えるからね、と声を掛けながら泣かせてください。

泣かなければ済まない感情の整理もあります。別れてさびしいという気持ちを受け入れてあげてください。泣きの涙はストレス玉です。泣いて泣いて泣き終えれば、ストレスが解消されるもので、大人でもすっきりするものです。

「離しなさい、どれだけ遊んでもらったと思っているの、おじいちゃんは疲れてるのだからね、もう今度来たときは絶対に遊ばせないからね!」こんな禁句のオンパレードをしないようにしてくださいね。

③それでも「馬鹿!」「死んじゃえ!」「帰らない!」と罵詈雑言が出たときの応酬

子育ての最終目的は社会で自立することですね小さくても私たちは、育てている子どもが人となりゆくように日々頑張っているわけですから、
社会で通用しない言葉を吐く子どもを見逃す大人であってはいけないと思います。

小さいなりに注意の仕方があると思います。「馬鹿」「死んじゃえ!」の本当の意味は実は子どもは知らないことがほとんどです。その言葉を使うことに対しても深い意味があるわけではなく、大体は大人の真似やテレビの真似です。

馬鹿じゃないの?バカみたい、バカみたいだからやめたら?そんな風に子どもの仕草で発したことはありませんか。自分の苛立ちを表す、自分の知っている中で、多分ひどい言葉であろう「馬鹿」を使用することで、思うとおりに行かない心の憂さを晴らしているのです。

知人の3歳の子は「馬鹿と言ってはいけません」とたしなめられたあとに「オバカリ~ン」と叫び続けたそうです。ニュアンスは似ていいて
笑えたと知人は言っていました。

「死んじゃえ」も同様で意味はありません。ただ、「死んじゃぇ」はひどい言葉ですから言ってはいけないというしつけの観点から、死ぬという仮想の現実を味あわせたほうがいい場合もあります。

私も同居の孫に「ばあちゃんなんか死んじゃえ」と言われた時に「死んだ振り」をしてみたことがあります。夕ごはんだから、おもちゃを片付けなさい!と私にいわれた孫は、遊んでいた工作がおもしろくってやめられずに「うるさいなぁ、おばあちゃんなんか死んじゃえ」と言いましました。チャンス到来!(笑)。

演技や誘導ならお手の物の私は、死んだ振りを決意。「ああ、なんだかすごく気分が悪い……」と言いつつ、
なだらかに横になり、手足の力を抜いていました。

動きの無い私に気がついた孫が寄ってきました。はじめはくすぐろうとしたり、覗き込んでいました。手も持ち上げたりしましたが、持ち上げて放されるとドタンと私の手は下に落ちます。顔を反対に押されればそのままグニャリと向こう向きになります。

様子をうかがっていた孫から笑顔が消えて……ちょっとあせり出した孫は私を呼びます。おばあちゃん!おばあちゃん!返事をしない私。ママもグルになって「ああ、ひどい言葉を言ったからだ……」。私はぐったりしたままです。孫は私の体を揺さぶって涙声になり、おばあちゃん~!必死で呼びかめます。

しばらくして私は「呼んだ?なんか呼び声がした、ああ良かった、死ぬところだったかもしれない。大事な可愛い○○ちゃんともうお話ができないところにいってしまうかと思うと悲しかった。もう死んじゃぇなんていわないでね」。死ぬとはどういうことか、漠然とでいいですから体感させることも無駄ではないと思います。

その後の孫は、少し成長しましたので飼っていたザリガニが死んでしまった時はカーテンの影に隠れて涙をぬぐっていました。絵本の中の怪獣が人を助けて水におぼれて死んだ時も涙をぬぐっていました。その絵本はあれ以来、頑として読もうとしません。

死が悲しいことであると体感したからでしょう。

「死」と悲しみが一体となることを今では理解ができている孫は、死んじゃえ!とは言わなくなりました。「馬鹿とか死んじゃえは言ってはいけません、それは相手が悲しむ言葉、大事な人がいなくなったら自分も悲しいよ」。それを繰り返し言い続けることもしつけの一環になると思います。

④「バイバイ」を拒む、もう少し深い悲しみの中にあるものは「不安」

罵詈雑言とはいかないけれども、おじいちゃんの洋服をつかんで放すことは無いけれども、ひたすら泣く場合は、別れることで(帰ることで)何か不安や恐怖があるのだと思います。

小さい頃は暗闇を怖がりますが、おじいちゃんと離れる、気持ちの良い場所から離される寂しさを伴った、大人で言えば寂寥感とでも言いましょうか、楽しいことが終わってしまった後の無常感と言いましょうか、そういうものを感じていることもありますね。

語彙をたくさん持たない子どもは表現ができないので「無常だぁ!」とは言えずに泣くしかないのです。

寂しい、二度と会えないかもしれない、おじいちゃんおばあちゃんは私の事を忘れてしまうんじゃないか、どこかに行ってしまうのではないか、次はいつ来られるのかわからない、そんな不安が心に渦巻いているのかもしれません。

そして、そんなことを細かく説明できる年齢でもありません。泣きの背後にあるかもしれない、不安に思っているようなことを丁寧に打ち消してあげながら、次回絶対逢える約束をおじいちゃんにしてもらいましょう。

そして、サヨナラ・バイバイではなく、またあとでね、またあしたね、また今度ね、今度のときはトランプしようね、今度のときはミニカー二列に並べごっこしようね。今度のときまでに車の名前覚えておくね、おままごとしようね。……

また明日ね、と再会できることをきちんと言葉でたくさん並べましょう。体はまだ小さいけれど、子どもだからと目先のごまかしをせずに、一人の人間として対等に接することが大切なことだと思います。嘘でごまかしたりしないこと。気持ちの整理をつける子どもの手助けを誘導していくことが大切だと思えます。

3、ジイジが「無理もきいて」遊んでくれるから、わがままになりそうで、という心配

2つ目の悩みについてお話します。「年寄りっこは三文安い」という諺がありますが、祖父母に育てられた子どもは、甘やかされて我がままになるので人間的に劣るという、ある意味、偏見が入った諺です。

本当に両親がいるだけの家の子どもより、お年寄りとかかわる子どものほうが、価値が安いのでしょうか?

私にはそうは思えません。祖父母任せにして、無償の愛とはいえ過剰過ぎるメリハリのない愛を与えられ続ければ、確かにわがままになる部分があるかもしれませんが、物事は何でもメリットデメリットの両局面がありますよね。

わがままになるかもしれないけれど、優しさをたくさんもらえるので思いやりのある優しい、老人を嫌がらない、弱者を労われる子どもになれるかもしれない、というメリットの部分もたくさんあるような気がします。

「三文安」になるかどうかは、子どもの両親が祖父母とどうかかわるかにもかかわるのかで、大いに違ってきますし、祖父母が実母、実父なのか義母、義父なのかによっても違ってきます。

わがままにさせるかどうかは、両親側の意識の問題がどうなのかということが大前提になると思います。

なぜならどのような助っ人を(おじいちゃん、おばあちゃん)をお願いしても、子どもの育ちの責任は両親に有ります。子どもがきちんと育たなかった場合は困るのは年をとった両親、すなわち自分たちの老後が困ることになるからです。

実母なり実父なり義母なり義父なり、育児にかかわってくださる方々への主導権は、自分たちであるとしっかりと自覚することも大事です。

保育ママの仕事中にこんな話がありました。受託のお母さんは学校の先生でした。戸建ての上下で両親と同居でした。子育ての時代の感覚の差で、ある日大喧嘩になり、階段の上と下とで大バトルをしたそうです。

決め台詞は、「子どもが成人するまで生きて責任を取っていただけるのですか。そうでなければ私の育児に口出しをしないでください!」でした。

「義母とケンカしちゃいました。あはっ」みたいに軽くおっしゃって、赤ちゃんを私の保育所(保育ママ宅)に預けると、先生は学校へ出勤されました。

大喧嘩をしてもいいと思います。

やってほしくないこと、食べさせてもらいたくないもの、買って欲しくないおもちゃ、今の時代に合わない子育ての押し付け(例えば、虫歯菌が移るから、唾液のついた口移しのものは、例え両親でも子どもには与えない、という今流の育児)などに対してはけんかをしてもいいから、子育て中における両親と祖父母との共通ルールの確立が望まれます。

無理を聞いて遊んでくれすぎるから、わがままになる、というのはちょっと自分たち(親)側によりすぎたわがままな意見のような気もします。

おじいちゃんおばあちゃんは、自分の子育ては苦労して終了しているのに、その上、孫育てにかかわってくださるということは、何はともあれ感謝の部類だと思います。

祖父母はそれなりに経験が豊かですから、若い夫婦が迷うようなことも経験則から近道、有意義な道への判断がきちんとできることもあります。

主導権を取りながらも祖父母がいてくれることを大事に思うこと。親と祖父母は、子どもに対してそれぞれの足りないところを補い合う補完関係、そうあったらステキだと思います。

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