子育て中にイライラして、子どもに冷たくあたり、罪悪感を抱いてしまい、やりきれない毎日です

kodomoni-yatuatari

質問

真ん中っ子として育った私は、母親の手伝いを一所懸命した記憶はありますが、母親に抱っこされたり手をつないでもらったりした記憶があまりありません。

現在2才の女の子を持つ母親となりましたが、抱っこしてとか手をつないで!と言われると振り払いたくなる感情が芽生えます。子どもに冷たくしている自分にイライラして、罪悪感も抱いてしまいます。

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回答

子ども時代は真ん中っ子として母親を助けて精一杯がんばってこられたのですね。えらかったと思います。子どもは生まれてくる家庭を選ぶことはできませんが、人は年代に合わせて生き方をどんどん変えていくことができる動物です。

子ども時代を取り返せすことはできませんが、苦痛を与えられたとしたら、事象の裏側にはそれを乗り越えてきた強さが育っているはずです。

それらを良き事と認識してくださったらとおもいます。人の親となられた今、だめな母親だと思わずに、お子さんと一緒に生きていく力をどうぞどんどんつけていってくださいね。大丈夫ですよ。できます。

あれが原因だったからこのようなことに嫌悪感があるのだ、と大人になってから結果が表れてきたりする事象があります。手をつなぐ、抱っこなどは肌の触れ合いですが基本的には心のふれあいになります。心、つまり感情ですね。感情のお話を少しします。

感情は生まれてから自然に育つものではなく、また教えてわかるものではありません。親から子へ大人たちから子どもたちへ、成熟した人から未成熟の人へと手渡ししていくものなのです。

狼に育てられた子どもが狼のように振舞った実話は有名ですね。人間の赤ちゃんを授かったら人間らしい感情を移入していかなければなりません。

感情の手渡しはむずかしいことではありません。笑顔で語りかけて抱きしめてともに風の音を感じて「風が吹いてくるね」と語りかけて、そして悲しい時には「悲しいね」と、生活そのものをともに体感していけば、感情の手渡しが行えるのです。

感情の表現が乏しいと言葉の発達の遅れや学習能力の低下につながります。当然喜びを喜びとして受け取る能力も低下しますから、自分の気持はおろか他人の気持も理解できずに取り残されます。

パーソナル・スペースという個人空間を現す言葉があります。人によってその距離は様々です。満員電車が嫌いでない人もいれば、耐えられない人もいます。友だちとべったりが好きな人もいれば、ある程度の距離がないと息苦しくなる人もいます。

御相談のお母さんの持っているパーソナル・スペースが、幼少の頃の寄り添われ方が少なかったために、一人でいることに慣れ過ぎて、寄ってこられることの不快感があるのかもしれません。

また、寄り添おうと思っていたのに寄り添えなくてその失望から心を守るために、一人が快適なのだと思わざるをえなかったのかもしれませんね。

お子さんとの距離は決してべったりばかりが良いばかりではないと思います。お子さんの感情にしっかり寄り添っていれば手をつなぐことだけが絶対ではないと思います。それでも、お母さんと手をつないだ記憶がないのは子どもにとっては将来の<あなた>を生み出しかねませんね。

直接に手をつなぐことに抵抗があれば、間にぬいぐるみなどを入れて<3人>で歩くとか、自分の気持が落ち着いている時に抱っこで本を読んであげるとか、子どもと体を密着させることの不快感を、親として乗り越える努力は必要かとおもいます。

喜びや悲しみに共感しあい分かち合うということは素晴らしいことなのだと、お母さんも少しずつ体感していかれるようになると良いですね。

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